「神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」(ヨハネ14:1)
私たちは神さまを信頼することができなければ、神さまに祈ることもしません。そして信頼するためには、神さまがどのようなお方であるかを、聖書を通して知る必要があります。
人間関係でもそうです。私たちはその人が信頼にたる人であることを予め知っていることが大事でしょう。そうでなければ単なる盲信です。キリスト教の信仰は盲信を勧めているのではありません。
神さまの自己紹介の書である聖書を通して、イエスさまのご人格とその働きを通して、神さまが愛の方であり、私たちにとって最善を願うお方であることを知ることができます。
例えば、親は子どものことを心配しますね。親とはそういう存在なのだということが、親になると段々と分かってきます。そう言えば両親もそうだったなぁと思い返すことがあります。
それと同じ様に、神さまは、あなたの天の父なるお方です。あなたのことを心配し、最善のものをあなたに与えたいと願っておられる愛のお方なのです。
ところで、あなたは親身に心配しベストを願ってくれる人がいたら、その人のところに具体的な助けを求めて足を運ぶでしょうか? たぶん、そうしないと思います。
親身になって心配しベストを願ってくれるだけではなく、親身になって心配しベストを願い、さらに私たちの話を親身になって聴いてくれる人のところに行くことでしょう。
つまりベストを願っているだけではなく、具体的に助けてくれる人のところに助けを求めて行くものです。
助けたいという意志を持っているだけではなくて、実際に、助ける力をもっている人のところに私たちは行くのです。
神さまと言うお方はそういう方です。助ける意志と力をもっておられるお方なのです。ですから、そのことを知って信頼しつづけることから全てが始まるのですね。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘