「順境には楽しめ、逆境にはこう考えよ 人が未来について無知であるようにと 神はこの両者を併せ造られた、と。」(コヘレト7:14)
神さまに降参したモーセは、召しに応えて、一歩前へと歩みだしました。ところが、そこに壁のように立ちはだかるもの、すなわち、《頑ななファラオの存在》があったのです。
出エジプトの出来事の直前まで、聖書には「ファラオの心は頑なになり、モーセとアロンの言うことを聞かなかった。主が仰せられたとおりである」という表現が繰りかえし出てきます。
これを私たちに当てはめるならば、こういうことでしょう。〈クリスチャンになったのに、何でいつまでも問題を抱えているのだろうか〉、〈スムーズな人生を送ることができないのだろうか〉。
あるいは、〈神さまから御心を示され、自分も神さまに従う決心をして新しい歩みをはじめたのだから、ドンドン前進してもいいはずなのに、どうして妨げや困難ばかり起こるのだろうか〉。
こういった疑問が心のなかに浮かぶのではないでしょうか。
ところが、聖書は「逆境があるから順境がある」、「困難があるから祝福がある」と断言しているようです。
「順境には楽しめ、逆境にはこう考えよ 人が未来について無知であるようにと 神はこの両者を併せ造られた、と。」
ファラオは自分で心を頑なにしたのですが、聖書は、神さまがファラオの心を頑なにされた、と書いています。それは、神さまの深い御心でした。
そして、その深い御心は同時に、深い愛と恵みの御心であることを私たちは御言葉によって、そして日々の信仰生活において経験していくのです。
今のあなたにとって、今日の聖句は何を語っていますか。主の御前にこのことを思い巡らしてみてください。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘