「人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。」(エフェソ3:19)
私たちが「愛」ということを問題にする時に、結婚における関係がよく語られます。
結婚生活の関係は、聖書の教えに立つならば、それは「赦せるかどうか」、言い換えれば、「受け入れる愛」と言われます。
ある人がしみじみと語っていましたが、「自分は、結婚した途端、歯磨きチューブの押し方に腹が立った。味付けに違和感を覚えた。また、ものの並べ方に、お互い、腹が立った」というのです。これが現実ではないでしょうか。
ですから、「赦し」?言い換えれば「相手を受け入れる」ということが「愛の土台」なのです。私たちは、〈あの人に傷つけられた。もう、あの人とはやれない〉。〈この人に傷つけられた。この人とはやれない〉。
あるいはまた〈自分に失望した〉と言います。そのようなことを繰り返していく中では、私たちは、結局行き詰まっていくしかないのです。
これに対し、神さまの愛を知らされているクリスチャンの生き方はどうでしょう。ここでパウロが祈っているように、キリストの愛を土台として人間関係を再構築していくことです。
キリストは十字架において「父よ、彼らを赦してください。彼らは自分のしていることが分からないのです」と赦しを与えられました。いや、それだけではありません。祝福されたのです。
以前、妻と2人で、「レ・ミゼラブル」を観ました。妻は隣りで、ずっと泣いていましたし、私も感動しました。まさに、「赦す愛」によって、ジャン・バルジャンの人生は変えられていきました。
神さまによって赦しを経験した者が、他者に対して、そのような態度で接することができるのです。
この愛を深く知る時に、私自身も、自分でも、もてあましてしまうような自分自身と向き合い、この自分自身を大切にしようという気持ちにさせられていくのです。
そうなってくると不思議です。周囲の人々に対して、その人を大切にし、重んじるようになっていくのです。これが十字架の愛の力です!
自分を受け入れることで、私たちは新しいスタートを切れるのです! 人生をやり直す勇気が与えられるのです! ぜひ、「赦す愛」によって今日一日歩んでいきましょう。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘