「イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。『あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。』そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。」(ヨハネ8:6−8)
女性が姦通の罪で捕えられた場面です。
イエス様は「イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた」とあります。それまで女に集中していた視線が、イエス様の背に向けられていったのです。
人々の好奇と冷酷な視線が女から離れて、すべてイエス様に注がれました。不思議なことにイエス様はかがみ込んでおられます。その身をかがめたイエス様の姿勢が、この女性を、それまでの耐え難い、興味本位の男たちの視線から解放していったのです。
さらに、イエス様が黙っておられます。しかも、黙っておられただけではなく、その身をかがめた姿勢は、あたかも、ご自分の前に連れてこられたこの女性の背負った重荷を、ご自分が背負おうとしているかのように見えるのです。
身をかがめ、女を背負おうとしているように感じるのです。
このところで「かがめる」と訳されている元々の言葉には、「引き受ける」という意味があるそうです。彼女の過ち、彼女の苦しみを引き受けるようにして、身をかがめておられるように見えます。
イエス様は、ご自分の身をかがめて、人を受け入れておられるのです。
やがて、身を起こしてイエス様は言われます。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」。そして、また、身をおかがめになった、と聖書は伝えています。
そうした中、彼らは黙ったまま、1人また1人と立ち去ってしまうのです。そして、イエス様は身を起こし、そこに1人残った女に語りかけられました。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか」。
女は答えています。「主よ、だれも」。そして、イエス様は言われたのです。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからはもう罪を犯してはならない」。
これは、敗北宣言していた彼女に、敗者復活の宣言をされたということです。
ぜひ、イエス様は身をかがめるお方だ、ということ覚えていただきたいと思います。それも、ご自分の必要からそうなさるのではありません。私たちの重荷を負うために身をかがめてくださるお方です。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘