「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。」 (マタイ7:3)
スタジオ・ジブリによって映画化されましたが、ファンタジーの傑作『ゲド戦記−影との戦い』をお読みになったことがありますか。実は、私はこの作品を牧師になってから読みました。
この本は子ども向けに書かれたものですが、非常に深いことが書かれていました。私たちの心の成長、精神的自立を扱った内容のように思えたのです。
よく精神的な自立というようなことを考える時、問題になるのが、「自立して私たちは何になりたいか、誰でありたいか」ということでしょう。
私たちは様々な障害を乗り越えて、自分自身を実現したいという願いを持っている、と心理学者たちは言います。そしてそのような「実現への望み」が強ければ強いほど大きな不安を感じます。
その願いが、かなわないのではないかと心配するからです。そして、そうした思いを持ちながら周囲を見回しますと、自分と同じ願いを持っている人々を発見する。
つまり、いつの間にか、他人との競争の中に立たされている自分を発見するのです。
〈いい学校に入りたい〉。〈多くの収入を手に入れたい〉。〈いい暮らしをしたい〉。そしてそうした「願い」の頭に、必ずと言ってよいほど、「人と比べて」という条件が付きます。
その結果、共に協力しながら生きていくべき周囲の人々を、「競争相手」、もっと言えば「敵」としてしか見ることが出来ないのです。
相手に対する憎しみという「暗い影」が私たちの心の中に芽生えてきます。こうしたことは誰しも経験していることだと思います。
「影」も本来、自分自身の一部なのですが、自分としては受け入れがたく、私が抱え持つ弱さとか欠点のようなものです。あるいは「こだわり」です。
こうした「影」とどのように折り合いをつけるのかは、私たちが人として成長していく上で非常に深い意味がありますが、このことをテーマにしたのが、『ゲド戦記−影との戦い』でした。
今日の聖書の箇所を読んだ時に、イエス様はまさにこの「影との戦い」のテーマを扱っておられると思いました。
いってらっしゃい
牧師 松本雅弘