松本雅弘牧師の日々のみことば

月曜から金曜の毎朝、高座教会の牧師からメッセージをお届けします

不安からの解放

「ところが、給仕役の長はヨセフのことを思い出さず、忘れてしまった。」
(創世記40:23)

 カンバーランド長老教会の『信仰告白』は、神様から離れた人間が共通して経験することが「不安・不安感」である、と告白しています。
この時のヨセフは「忘れ去られる不安」との戦いの中に置かれていました。では、こうした不安から、どのようにしたら解放されるのでしょうか。
それは、「神に知られている」という現実を知ること以外に道はない、と聖書は言います。
私は、この《神に知られている》という事実、あるいは、「実感」と言っていいと思いますが、それがヨセフを支えていた、と思うのです。
人々から忘れ去られ、監獄の中にあっても、自分に安否を問う人などいません。みんな自分のことで精一杯です。また、こちらから何かしてあげたとしても、感謝されるどころか、結局、給仕役の長はヨセフを忘れてしまったのです。
しかし、給仕役の長が彼を忘れるようなことがあったとしても、神は決してお忘れにならないのです。
前に、『たいせつなきみ』というタイトルの絵本が話題となりましたが、その同じ著者が、『ワンダフル』という題名の本を書いて、翻訳されました。
その中の一文に「もし神様がお財布を持っていたなら、きっと中に、きみの写真が入っている」とあるそうです。アメリカの方は、よくお財布に大切な人の写真を入れています。
「もし神様がお財布を持っていたなら、きっと中に、きみの写真が入っている」。
ヨセフはそのことを知っていました。実感していたのです。
この神様に覚えられている恵み、神様に愛されている恵みに支えられていたのです。人が自分のことを心配してくれるような状況になくても、神様がこの私を心配してくださっています。
人が自分を全く重んじないような中にあっても、神様は、私を重んじておられることを知っていましたから、彼は、人に心配されたり、人に重んじてもらったりすることから、次第に自由にされていきました。
むしろ、そうした他者に対する無関心の空気が張り詰める監獄の中にあっても隣人に関心を持つ生き方、他者に対する心を失わずにいられたわけのです。
このような意味で、ヨセフは神様に愛されている恵み、神様に重んじていただいている恵み、神様に知られている恵みを心の中にしっかりと受けとめる、《恵みの管理者》であったのです。

 いってらっしゃい

 牧師 松本雅弘