「『静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる』。
万軍の主はわれらと共におられる、ヤコブの神はわれらの避け所である。」 (詩篇46:10−11 口語訳)
神さまの御前に静まるとき、必ず2つのことが起こるでしょう。
1つは、神さまというお方が、あなたの理解を超えて、いかに偉大で、慈しみ深く、聖なる方であるかということ。
そして、もう1つは、その大いなる神さまが、愛の眼差しをもって、どれだけあなたを大切に思っておられるか、ということです。
たとえ、他人があなたに対して何を言い、どのように評価しようとも、神さまが、あなたをどのように見ておられ、評価しておられるかのほうがはるかに大事なのです。
いや、神さまがあなたをどれだけ愛しておられるかが、もっとも大切なことでしょう。なぜなら、そのことこそが真実なことであり、ほんとうの意味で正しいことだからです。
神さまの御前に静まるなかで、〈神さまがいかに愛に満ちたお方であるのか〉、そして、〈(こんな)わたしが神にとってどれだけ大事な存在であるのか〉に気づかされ、
その結果、驚きとともに、畏れと喜びを味わうことでしょう。
「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩篇46:10、口語訳聖書)。
きょうの1日、この神さまが、あなたと共に出かけてくださいます。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘