「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」
(ローマ8:26)
祈りとは何でしょう。リンカーという宣教師は、「祈りとは神さまとの会話である」と定義しました。スポルジョンは、「祈りは全能者の筋肉を動かす神経である」と定義しました。
では、あなたにとって祈りとは何でしょうか。今まで祈りについてどんな経験をしてこられましたか? 祈りということでいつも思い出すのは、神学校の面接の時のことです。
全員が集まった中で、先生方がそれぞれ自己紹介を始めた時、田辺滋という先生が「祈って、お待ちしておりました」とお話しくださったのです。
「田辺滋」と言えば、神学生でしたら誰でもお世話になるギリシャ語文法書を翻訳された先生です。
その先生の口から、以前、お会いしたことがないのに「祈って、お待ちしておりました」と声を掛けられ、大変恐縮したのと共に、本当に有難く、なおかつ嬉しい気持ちでいっぱいになったことでありました。
確か、大学を卒業してすぐの時に、神学校を訪ね、その時、名前と住所を残してきました。それを手掛かりに「松本雅弘という若者の献身の思いが全うされるように」と、ずっと祈っておられたそうです。
その後、2年してようやく受験にまで漕ぎつけたのですが、その間、何度か、止めようという思いも起こったことも思い出しました。でも、こうした先生方の祈りによって支えられたのだ、と改めて知らされる貴重な経験となりました。
祈りの大切さ、言い換えれば神さまは必ず祈りを聴かれるということ、それ故に根気強く祈ることの大切さを教えられる貴重な経験となったことです。
あなたにとって祈りとは何でしょうか。今まで祈りについてどんな経験をしてこられましたか?
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘