「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。」
(マタイ6:24)
聖書は単に「信じなさい」とは教えていません。正確な言い方をするならば「悔い改めて信じなさい」と教えています。
「だれでも、二人の主人に仕えることはできない」とイエスさまがはっきりと語っておられるからです。ところで「悔い改める」とはどういうことでしょうか?
それは方向転換することです。心の向きを変え、古い生き方に別れを告げることです。それによってキリストに向かって成長するためです。
この点があいまいになると、イエスさまが語られた「種まきの譬え」に出てくる道端、石だらけの地、そして茨の中に蒔かれた種のように、信仰生活の実を結ぶことが難しくなります。
ちょうどそれは「悔い改めないで信じる」ことと同じです。「色々なことを信じているけれど、ちょっと心細いのでイエスさまも信じておく」というようなものです。
「やりたいことが山ほどある。でも天国に行けないと怖いから念のために洗礼は受けておきましょう」というような信じ方です。
でも聖書が教える本物の信仰、つまり「悔い改めて信じる」とはそうした信じ方とはちがいます。それは「色々なことをしてきたけれども、これからはイエスさまを中心に生きていきます」と決心しスタートを切ることです。
イエスさまを心の王座にお迎えすること、これこそが「悔い改めて信じる」という聖書の教える本物の信仰です。
あなたの心の王座には誰が座っていますか? あなたですか? それともイエスさまですか?
あなたの主人はイエスさまです。主人であるイエスさまに喜ばれることを求めて、今日の一日すごされますようにと祈ります。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘