「すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた」
(マルコ1:11)
日本人は完全主義者が多いと言われます。つくづく自分もそうだと思うことがあります。そうした人はプラスよりもマイナス面に気持ちが向いてしまい、全部が整った後でイエスさまに従おうと考えます。
イエスさまの受洗の時「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という天からの声がありました。
実はこの御声はイエスさまがまだ一言も神の国について宣べ伝える前に、まだ一人の病人も癒される前に、つまりメシアとしての御業を何ひとつなさる前に父なる神はイエスさまの存在を喜んでおられるのです。
イエスさまが何かなさったので、その報いとして愛されたのではありません。むしろ逆です。父の無条件の愛に支えられていたので、イエスさまは託されたメシアの御業をまっとうされたのです。
あなたが受けた洗礼もイエスさまの洗礼と同じで、あなたが神の子になったことを表しています。ですからあなたにも「わたしの愛する子、わたしの心に適う者」という言葉が与えられているということなのです。
それもまだ一日の信仰生活を過ごす前に、すでに神さまは一方的な恵みによって愛する子としてあなたの存在を喜んでおられる。何とすごいことでしょう!
話を戻しますが、完全主義者は自分を赦せない人です。でも神さまは十字架の愛で、すでにあなたを赦しておられます。放蕩息子の譬えを語られる愛のお方は、あなたをそのあるがままに愛してくださるからです。
その愛の中で本来の自分を回復し表現していけばいいのです。ぶどうの木であるキリストにつながって、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制という実を実らせていく。
そうしたあなたによって神さまは栄光をお受けになるのです。(ヨハネ15:8)
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘