「胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている まだその一日も造られないうちから。」(詩編139:16)
子育てで行き詰ったとき、教会の先輩が「子どもたちは親の期待を1つひとつ裏切りながら成長するものだ」と語ってくれたことを今でも思い出します。
また、ある程度、子どもたちが大きくなり、今までの自分たちの子育てを振り返ると、自分たちの期待どおりにならずに良かったと思うことが結構あります。
過越祭で上京した少年イエスは、両親の期待を裏切り行動しました。その結果、両親は大いに心配しました。
でも、境内で学者を相手にして話を聞いたり質問したりするイエスさまの姿は、両親以外の人々の目から見て「たくましく育った」少年の姿でもあったのです。親の目には心配に映る我が子の姿でも、人の目にはたくましく映っているのです。
子どもの成長は、必ずしも私たちの期待どおりには進まないものです。
聖書に「胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている まだその一日も造られないうちから。」と書かれています。
親が子どものためにと「シナリオ」を備えているように、実は神さまも「シナリオ」を用意しておられるのです。
あなたは、自分が求めたことが全て実現していたら大変なことになっていたと思ったことはありませんか?私たちは祈りを続ける中、私の心の願いが次第に変えられていく経験をすることがあります。
全知全能で愛に満ちた神さまが、あなたの子どもたちために「シナリオ」を持っておられるとするなら、その「神さまのシナリオ」と「あなたのシナリオ」のどちらが優れたシナリオでしょうか?
答えはもうお分かりですね。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘