「二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。」(創世記3:7)
聖書によれば、人間はもともと素晴らしい者として、しかも「神さまのかたち」に似せて造られました。
それは、神さまの語りかけを聴き、それに応答して生きる時に初めて自分らしく、人間らしく生きることができる者として造られたということを意味しています。
確かに、パンは必要です。でもパンだけで生きるのではないのです。心の糧なるパンが必要なのです。これがあって初めて人間らしく生きることができるのです。
ところが、その神さまとの関係が切れてしまったために、それが得られなくなりました。
その結果、「あなたは素晴らしい。あなたは宝のようだ」と言ってくださる神の言葉が心に届かなくなったために、常に「何か足りないのではないか」という不足感や、「これさえなければ」という不満感、
あるいは自らに対する不甲斐なさや怒りを感じて生きるようになったのです。
自分のことをそのようにしか見ることができませんから、人間関係でも「私を馬鹿にするのではないだろうか。愛想を尽かすだろう」という不安を持つことになります。
そのために、「いちじくの葉」で見栄えを良くしますが、所詮それは「背伸びした姿」です。「いちじくの葉」も時間がたてば、パラリと剥がれ落ちることだってあります。
結局、心の中に穴が空いたままでいるので、周囲の人から「あなたは素晴らしいね」と評価や称賛を求めます。でも、そう期待する相手も自分のことで手一杯です。
こうした悪循環が私たちの孤独の原因であり、心の奥底にある不安や不満の原因ですよ、と聖書は教えるのです。
では、どうしたらよいのでしょう? 心の中の空洞を神さまの愛で埋めていただくしかありません。虚しさや不安に襲われる時、神さまに心を向けてくださいね。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘