「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。」(ヨハネ5章39−40節)
今日の聖句は、聖書を本当に熱心に学んでいる人々に向かって語られたイエスさまの言葉です。この時、イエスさまは、「聖書が指し示すわたしのことをどこかにほっぽっておいて、聖書研究する過ちを犯しやすいのが、あなたがただ」と教えておられます。
キリスト抜きの聖書研究、もっと言えば、イエスさまの御心抜きの信仰生活、教会活動、ということでしょうか。
私たちには「したいこと」や「やりたいこと」があります。祈りとは、そうした「したいこと」や「やりたいこと」を実現するための手段ではありません。
実は、聖書は、そうした私たちの願いを超えて、イエスさまがして欲しいと切に願っておられる御心があると教えているのです。
この「私の願い」と「主の御心」のぶつかり合いが、信仰生活における様々な葛藤として現れるように思います。
ある日、イエスさまが、ペトロとヤコブとヨハネを連れて高い山に登られた時に、そこにモーセとエリヤが現れて、イエスさまと話し合いをされました。弟子たちは、その光景を目の当たりにし、その恵みに圧倒されていました。
その時、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」という天から御声があったと聖書は伝えています。
私たちも、何か戸惑うような出来事や辛い目に遭い、立ち尽くすことがあるかもしれません。今、現実にそうした壁にぶつかっておられる方もあるでしょう。
そうした時に、この天からの神さまの御声、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」との御言葉に励まされ、本当の解決と命を得るために、聖書が指し示すイエスさまの御許に向かっていきたいと思います。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘