「従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、」(エフェソ2:19)
学生時代、自宅近くの教会に通っていました。その教会にHさんという80歳を過ぎたおばあちゃまがおられました。Hさんは行商をしてお孫さんを育てました。
ところが、手塩に掛けて育てたお孫さんにお嫁さんがやって来て同居を始めた途端に、そのお孫さんが、自分に冷たくなっていく。自分の家なのに、自分の家でないような寂しさを覚える。
いつもHさんは教会に来ると泣きながら証しをし、私たちは皆でHさんのお話を聞き、そして祈りました。
その時、私は〈クリスチャンでなければ、祖母ほど歳の離れたHさんと知り合いになるだろうか〉と感じたのです。Hさんも孫ほど歳の離れた私との交わりを本当に喜んでくださいました。
そして、証しをたくさんしてくださいました。
戦中、食べる物がなくなって祈っていたら、家の前に自転車の止まる音がして「お届けものですよ」と言って米屋さんがお米を届けてくれた話などは、非常に印象に残りました。
卒業をひかえた頃、私は献身して牧師になりたいという思いが与えられました。ただ両親から反対され、特に父親に何を言われるか分からないと覚悟しました。
そのことを日曜日に教会の兄弟姉妹にお話したのです。そうしましたらHさんが「松本さん、心配ないよ。神さまがついていてくださるから。
もし、家からオン出されたら、家に布団があるから、来なさいよ。泊めてやるから」。
Hさんは、嫁姑で大変な中にあって、私が転がり込めるような家庭状況ではなかったのは百も承知していたのですが、後先考えずに、真剣に話してくれたのです。
私は、その時、血縁の家族を超えた、主にある兄弟姉妹、神の家族としての強い結びつきを経験しました。
神の子である私たちは、神の家族の交わりの中で支えられるのです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘