「そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。『主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。7回までですか。』
イエスは言われた。『あなたに言っておく。7回どころか7の70倍までも赦しなさい。』」(マタイ18:21−22)
中学生くらいになると、「人の目」が気になり始めます。人に好かれたいという思いが強くなってきます。
自分では本意でないのに、人に自分を合わせたり、自分を殺して人と一緒の時間を過ごしたりするようになります。大変な不自由さを経験するようになってきます。
そんな中で、自分の良い面を磨き上げ、それでもって勝負して行こうとしますが、かえって人から敬遠されてしまうことにもなります。
ある時、ペトロがイエスさまのところに来て、「私に罪を犯す人を何回赦すべきでしょうか。」と訊ねたのです。すると主は「7回どころか7の70倍までも赦しなさい」と答えられました。
イエスさまの前では、あまりほめられないような行動や失敗してしまったことも非難されずに赦されるということを集まった人々は実感していました。
そこには、その人を受け入れる雰囲気があったのです。イエスさまの赦しの大きさがみんなに分かっていたからです。ですから、イエスさまの周囲には多くの人が集まってきました。
話を聞こうと来た人、病気を治してもらおうとしてやって来た人、悲しい心を慰めてもらいたいと思って集まって来た人、噂を聞きつけてやって来た人もいました。
そして、そのような人々がいつしか群衆となって、イエスさまの後ろに従うように、やって来たのです。
その人たちは自分が煙たがられているのではなく、むしろイエスさまに歓迎されていることを肌で感じていました。
高座教会もこのような雰囲気をもった教会でありたいと思っています。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘