「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」(ルカ14:11)
本を読んでいて、こんな言葉と出会いました。
「プライドが高く尊大な人は、はしごが正しい壁にかかっているかどうかよりも、他人と比べてどれだけはしごを登ったかによって安心感を得ようとする。
彼らは、自分よりも下の位置に人がいるのを見て、自分に価値を感じるのである。彼らがめざしているのは、ただ前進することである。それが間違った方向に前進しているかどうかということは二の次である。」と。
私たちが天地万物の造り主なる神さまとの出会い、イエスさまとの出会いを経験できていない時、私たちは、心の深いところで、上座に座りたがる自分を発見するのです。
何故でしょう? 今のままの自分では駄目だと、心の深い所で感じているからでしょう。ある種の劣等感かもしれませんね。もしそれが劣等感から来るものであれば、そうした場合、優越感を持たなければやっていけないと思っています。
ですから、いつも周囲との競争が始まります。お隣さんとの比べ合いが始まるのです。
「それが間違った方向に前進しているかどうかということは二の次」で、大事なことは人よりも上座に座ることであり、他人よりも抜きん出ていることなのです。
ですからイエスさまは、上座を真剣になって求める人々の、そうした外側に現れる行動自体が、神さまから離れている内面を持った現実の動かぬ証拠であると考えました。
そして、そのことを指して「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」と言われたのです。
神さまの救いにあずかった者、神さまに知られ、神さまに愛されていることを知った私たちは、おのずとその生き方が変わってくるはずです。
もう尊大になる必要もなく、むしろ、本当に大切なことに集中して生きることが許されているのですから。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘