「モーセは言った。『道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。』」(出エジプト3:3)
モーセと神さまの出会いから教えられることは、人生における最高の経験は神さまとの出会いの経験であり、それが御言葉と祈りを通して起こるということです。
すでにこの時80歳。長い荒野の生活で昔の王子としての面影はなく、単なる貧しい羊飼いのモーセです。80歳ですから人生も締めくくり、天国への引越しも少しずつ始まっていたことでしょう。
しかしだからと言って、今までやって来たことに満足していたかと言えば、決してそうではありません。
そのような時、彼は自分と同じように見える「見栄えのしない柴」が、赤い炎をたてて燃えている、この光景に心が釘付けになりました。
それは、神さまが、もう一度、情熱と生きる目的を与え、もう一度、燃え上がらせてくださるという希望を、彼はこの燃える柴の内に見出したからであります。
それゆえ、何とも言えず、心がそこに惹かれたわけなのです。そして、このことを通して、神さまはモーセを御自分の許に引き寄せ、ご自身との交わりへとモーセを導かれたのです。
彼は40歳まで王子として生き、その後40年、荒野で羊飼いをして過ごしました。
でも宮殿での最上級の教育も、荒野での自分を振り返るような静かな生活も、実はモーセを根本的に変えるものとはならなかったようです。
結局、彼を変える決定的な出来事となったのは、主なる神との出会いでした。
そのきっかけが神の用意された燃える柴の存在でした。その半分枯れたような柴が自らの存在と重なって見えたからなのではないかとある牧師は語っていました。
神さまというお方は、あなたが求める以上にあなたとの出会いを求めておられるお方だからです。
今日、あなたの神さまは、あなたとの出会いを求めておられます。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘