「イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。『これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。』
それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。『これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。』
食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。』」(ルカ22:17−20)
『信仰告白』は、聖餐式を「祝いを経験するために教会に与えられた永続的な手段である」と告白しています。
これは何を意味するかと言いますと、将来、天の御国において、主が主催する盛大な晩餐に私たちはあずかることができ、その前味をいただいている、ということです。
例えば結婚式の披露宴に招かれたとします。そうしますと、まず席に案内されますね。たぶん席には名札があって墨で「松本雅弘」と書かれています。
「私の席がここにあった」と安心し、座ることができます。
実は、私たちが聖餐にあずかるということは、言い換えれば、天で主の晩餐を祝うときに、私の席がすでに用意されていることの保証でもあるのです。
この私のために主が十字架で死んでくださった。肉を裂き、血を流してくださった。聖餐はそのことを表しています。そのことを想起し、この恵みの食卓をいただくわけです。
そのような意味で『信仰告白』では「これを祝うすべての者にとって、霊的な養いと成長の手段であり、キリストへの感謝に満ちた服従の行為であり、キリストの教会の業と奉仕への献身である」とも告白しているのです。
聖餐式がある主の日には、主が命がけで用意してくださった恵みを大事にしていきたいものです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘