「どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」(ルカ16:13)
詩編にありますように私たちの齢は70年です。
そして長生きする人々も80年ほどのものでしょうと書かれておりますが、この地上での70年ないし80年の人生における成功や出世が私たちの人生の目的そのものでしたら、天に宝を積むようなことは出来ないかもしれません。
言い換えれば、信仰を学ぶことが、二の次、三の次になってしまいます。
でも、私たちは神の子、キリストの弟子ですね。天にも国籍があるのです。
伝道において大きな成果を上げて誇らしげに帰って弟子たちにイエスさまは「悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」と言われました(ルカ10:20)。
天国に国籍のある私たちは、神の国が、信仰が目的ですから、いい時も悪い時も、信仰を学ばせていただくよいチャンスとして、神との出会いの時として、これを用いていきます。このことこそ、神の子の特権だからです。
聖書は、私たちが天に宝を積むようにと勧めています。なぜなら、天につながる生き方が賢い生き方なのです。この数十年間だけの仮住まいのこの世において、金儲けやお金を貯めこむことが目的ではありません。
出世することや、名を残すことでもありません。むしろ神の国の前進のために、神との出会いの時を得、そして天に宝を積むことが大切なのです。
あなたも、永遠のスパンで与えられている富や時間を用いる、クリスチャンスチュワードとして今日の一日も生かされているのです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘