松本雅弘牧師の日々のみことば

月曜から金曜の毎朝、高座教会の牧師からメッセージをお届けします

福音という救いの舟

「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」(マタイ5:17)

 人間の国と神の国の間には「罪」という沼が横たわっている、とある牧師は説明していました。
その沼を渡らなければ、神の国に至ることはできない。律法学者やファリサイ派の人々は、「律法の泳法(泳ぎ方)」に従って、自力で沼を泳ぎ抜くことを志し、実践し、そして人々にも要求した、というのです。

 ところが、どうでしょう。この律法主義者の「完成」への業は、結果的に、己を高ぶらせ、隣人を裁き、蔑むという新しい罪の沼を招き寄せてしまいます。
しかしもっと悲しむべきことは、そうした律法学者が、自分たちのしていることが、かえって罪の沼を深くしているということを自覚していなかったことである、と説明されていました。
 イエスさまは、こうした律法学者やファリサイ派が律法に熱心であればあるほど、神さまの恵みと救いからかけ離れ、自分も天の国に入らないばかりか、人々が天の国に入ることを妨げていることを嘆いておられました。
 イエスさまは、「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく完成するためである。」と宣言されました。
イエスさまが言われる「律法の完成」とは、律法学者やファリサイ派の人々が思い描く「完成」とは全く異なるものでした。
イエスさまの言葉を使えば、「人にはできないが、神にはできる完成」でした。
 つまり、イエスさまご自身が「舟」を出してくださった。そして、すべての人をそれに乗るようにと招かれた。自力で泳ぐのではなく、「福音という救いの舟」に乗るようにと招かれたわけなのです。
 あなたも私も、このイエスさまの「福音という救いの舟」に乗せていただき、救いへと導かれたのです。
 今朝、このことをもう一度、感謝したいですね。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘