「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。
それは、だれも誇ることがないためなのです。」(エフェソ2:8−9)
カネボウ化粧品の社長を務められた三谷康人さんは、現在は伝道の働きをしておられます。
あるところで三谷さんは〈現役の時代、同期の人よりも給料が100円でも多くもらえること自体が大きな喜びであった〉と証ししておられます。
私たちは意外に、そうした「ちっぽけな勝利感」を糧に日々過ごしていることがあるように思います。
ところで人間には、神さましか満たすことの出来ない隙間、神さましか癒すことの出来ない渇きがあります。
それを横との競争によって得た本当に一時の勝利感という優越感情で満たそうとします。「出来ること」、「してきたこと」、「優れていること」を積み連ね、それと引き換えに天国行きの切符を手にする。自己救済的の手段としての「行い」です。
仮に、そうしたものが、私たちが神の子になるために必要な条件だったとしたら、ある人曰く「そんな天国は行きたくない」となります。
〈俺はこれだけのことができる。私はこれだけのことをやってきた。私の出た学校は、こういうところ。俺はあの人よりも、こうだった、ああだった〉。
あのバベルの塔のように、〈そらどうだ、これでもか〉と「行い」と引き換えに、天国行きの切符を手にしてやって来た人々で天国がごったがえしていたとするならば、そこは本当に人間臭く嫌なところとなるでしょう。
でも、本当の天国は、その対極にあります。一方的な恵みによって、神さまに認めていただいている。だから競争をやめて、この世界でたった1人しかいないあなた自身に与えられている人生を歩んで行く、そのことを、神さまは願っておられると聖書は語っているのです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘