「イエスがこれらのことを話しておられると、ある女が群衆の中から声高らかに言った。『なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は。』
しかし、イエスは言われた。『むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。』」
(ルカ11:27−28)
ナチドイツに対する抵抗運動で殉教した神学者ボンヘッファーの著作の中に『キリストに従う』というものがあります。
その中で「安価な恵み」と「高価な恵み」という2つの言葉を対比させながら、聖書が教える本当の恵みの意味を解き明かしています。
その違いとは、キリストに対する服従があるかないかがポイントとなると指摘していました。彼は、キリストへの服従のない恵みは安価な恵みであり、聖書の福音ではない、と断言します。
ある時、イエスさまの教える姿に感動した1人の女性が、声高らかに「なんと幸いなことでしょう。あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は」と言いました。
こんな力を帯びた息子を持った母親マリアは何と幸いな人でしょう、と言いたかったのだと思います。そして、言葉は違いますが、私たちもそうした幸いを求めています。
確かに優秀な子どもを持つことは母親の誇りでしょう。そしてそれは素晴らしいことでしょう。
しかし、そうしたことを追い求めて生きる私たちに対して、「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である」と語り、御言葉に聴き従うことこそ、本当の幸いを得る道なのだと教えるのです。
ところで、あなたにとっての「幸い」とは、どのような状態を意味していますか?
そのために、あなたがしていることは何ですか?
その「幸い」と、イエスさまが教える「幸い」との間に、何か違いがありますか?
今日も、自らの歩みを再吟味し、キリストが導かれる本当の幸いにあずかりたいですね。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘