「家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。」
(ルカ13:25)
ある時、弟子たちはイエスさまに「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と訊ねました。それに対し主は、「狭い戸口から入るように努めなさい」と教えたのです。
その「狭さ」とは「緊急性という狭さ」を意味します。
時々、「救いとか信仰とか言うことも確かに大事でしょうが、今はそんな気になれない」と言う声を耳にします。また、「もっと生活にゆとりが出来てから」と言う方もあります。
婦人会を担当していた頃、求道者の方たちの様子を近くで見る機会がたくさんありました。子育てのことで悩んで教会に来た方がありました。ところが、幸い問題が解決しました。
私から見れば、神さまがその方の祈りを聞いてくださったのだと思うのですが、その方は、その悩みがなくなると同時に、ノア会からも姿を消してしまわれたのです。
生島先生は卓球を通して教会に導かれたそうです。私はバイブルクラスで導かれました。
しかし大切なことは、卓球や英語で終わってはならないことで、その先にある「まだ閉じられずにいる狭き戸口」を指し示すことが、クリスチャンであるあなたや私が一番分かち合いたいもの(福音)なのではないでしょうか。
ノアは主に従い箱舟を作りました。周囲の人々は永遠の命にかかわる事柄に「投資」して生きるノアの姿を笑っていました。当時の人々の目から見たら、お金や時間の無駄としか映らなかったからです。
でもノアがしていたことこそが、イエスさまが教えてくださっている「狭い戸口から入る生き方」だったのです。
あなたの人生を何に投資して生きていますか?
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘