「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる。」(マルコ16:7)
十字架の3日後、空の墓を訪れた女性たちは、そこで復活の主に出会いました。主は彼女たちに対して「そこ(ガリラヤ)でお目にかかれる」と約束されたのです。
「ガリラヤ」とは、弟子たちが最初にイエスさまと出会った場所です。そこで召され、教えられ、愛され、イエスさまと多くの時を共に過ごした思い出の場でした。
復活の主は、その「ガリラヤ」であなたがたと会おうと、約束されたのです。
ところで、あなたにとっての「ガリラヤ」とはどこでしょうか?
そこは、あなたにとっての住み慣れた場所です。泣いたり笑ったりする生活の場であり、神さまから遣わされている家庭や学校、あるいは職場であり、今、置かれている人間関係です。
わたしたちは時々、苦しい事、辛い事に遭遇すると、〈ここから抜け出したい。この家、この人間関係を離れることができれば、どんなに幸せになれるか〉と考えます。果たして、そうでしょうか?
問題がなくなることによって幸せを得る、と考えたら、一生、幸せを得ることなどできません。なぜなら、問題の中に神の祝福があり、問題があるので、祈りを通して主と出会い、問題の中にイエスさまが働いてくださるからです。
南の国では冬がなく、樹木に年輪が堅く刻まれないので、それらは建築には不向きだと言われます。それに対し寒い所の樹木は、冬の間に年輪が堅く刻まれ、しっかりとした堅い樹になるため、家を建てることに適した材木となります。
あなたの生活の場が「ガリラヤ」であるとすれば、そこでの出来事や課題をもって主のみ前で祈り、御言葉を聞くことを通して、そこが私の主との出会いの場となるのです。
今、あなたは、辛さを経験していますか?もしそうならば、その場こそ、実は主があなたと出会う「ガリラヤ」なのです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘