「富は、天に積みなさい。」(マタイ6:20)
以前、あるキリスト教雑誌を購読し、その中のジム・コンウェイ牧師のコラムを毎回楽しみに読んでいました。
ところが、ある時、突然、そのコラムが取りやめとなったのです。
その後、調べ物をしていた時に偶然「ジム・コンウェイ」の名前を見つけたのです。調べてみると『中年危機に直面する男たち』という本を書いていることが分かりました。
さっそく注文し、読み始めました。
その本の中に、あの時、突然コラムを中断した経緯が書かれていました。彼は「中年危機」に直面し、全ての責任を放棄して、逃げ出してしまったということでした。
一生懸命やっている仕事も、いずれ誰かにバトンタッチしなければならないと気づいた途端に、全てが虚しく感じられたのだそうです。
これは誰もが感じることではないでしょうか。
「自分がいなければ会社はきっと動かないだろう」と、退職後そのことによって自らの存在価値を見出したいと思いつつ、職場の様子を訊くと、会社はスムーズに動いている。
いや、自分が居た時よりももっと皆が生き生き働いているように見える。あるいは、そうしたことを想像しては虚しくなるというのです。
汗水流して蓄えてきた財産も然りです。天国に持って行くことはできません。ヨブが言うように「裸で生まれ、裸で召されていく」のです。
そう考えると、何ともいえない虚しさに襲われる。これがコンウェイ先生の経験した「中年危機」の中身です。
ところで、聖書は「中高年の危機」の背景に「人生、死んだらおしまい」という誤った人生観が横たわっているのだ、ということを気づかせてくれます。
これに対して聖書は、「人間の人生は、死でもっておしまいではない」という新鮮な真実を明らかにしています。
ですから、クリスチャンが求める生き方とは、天につながる生き方を今から心がけていく、ということなのです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘