「イエスが手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。」(ルカ5:13)
ある日、イエスさまのところに重い皮膚病を患った人がやってきました。
当時のユダヤ社会では、人が重い皮膚病と宣告された瞬間、全てを失いました。ある意味で死の宣告と同じです。
その彼が、病気でクチャクチャになった顔を地面にすりつけるようにして「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と願ったのです。
〈もうこの方しかおられない!〉という、捨て身の願いでした。
でも彼の心には1つだけ心配がありました。それは主が自分を癒そうと思ってくださるかどうか、ということでした。ですから「御心ならば」と条件を付けて願ったのです。
自信を持てない時に、相手も自分をそのように見ているに違いないと思いこむことがありますね。この時の彼もそうだったのです。
嫌われ者でしたから、イエスさまにも嫌われると思ったのです。
さて、この彼に対し、イエスさまは、手を伸ばして触れられたのです。
久しぶりに人の手の感触を感じながら彼は、〈感染するかもしれない、律法を犯すことになるのに・・・〉、癒しのことなど忘れる程、感動したのではないかと思います。
それだけではありません。「手を差し伸べてその人に触れる」とは仲直りを示す行為で「和解の手を差し伸べる」という意味があるそうです。
何年も聖なる所から一番遠い場所に閉じ込められていました。人間として生きる権利を奪われた生活でした。生命と身体はあるのです。いや心もありました。
でも人としての身の置き場がなかったのです。
イエスさまは触ってくださり、何と、和解の手を、そのお方の方から差し出し、神の恵みの中心へと招きいれてくださったのです。
イエスさまって、本当に素晴らしいお方ですね!
このお方が、今日もあなたと共におられます!
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘