「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(ルカ2:11)
イエスさまがお生まれになったときに、イエスさまは家畜小屋の飼い葉桶に寝かされました。それは、イエスさまのために、誰も場所を差し出すことができなかったからですね。
実は、この時、初めて礼拝に招かれた羊飼いたちも同じ扱いを受けていました。
この時、ローマ皇帝の命令で、領土に住む全ての人々が、自分の生まれ故郷に行って名前を書いてこなければなりませんでした。人口調査が目的でした。
ですからマリアも大きなお腹をして、ナザレからベツレヘムまで旅をしなければならなかったのです。逆らえば投獄されるでしょうし、命の保証もありませんでした。
ところが羊飼いたちは違っていました。いつもと同じように、ベツレヘムの野で羊の群れの番をしていた、と聖書にあります。
彼らの人口調査はどうなっていたのでしょう? 実は、彼らは人口調査の対象外、つまり、初めから数に数えられていない人だったのです。
ところがルカ福音書によれば、神さまはこの羊飼いたちに最初に御子イエスさまの誕生の喜びを伝えたいと考えたのです。何でだと思いますか?
それは彼らこそが、一番イエスさまを必要とする人たちだったからです。
聖書は、主イエスの誕生に飼い葉桶が使われた理由として「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」と伝えています。「場所がなかった」とは「迎え入れてはくれなかった」ということです。
でも、そのような誕生をされたイエスさまのご生涯は「人を迎え入れる」歩みでした。ことに「小さき者」を迎え入れ、共にいることの出来る場所を与えてくださる歩みでした。
今日もそのイエスさまはあなたに、「さあ、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。ここにあなたの居場所がある!」と語りかけてくださるのです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘