「弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。イエスは彼らの心の内を見抜き、1人の子どもの手を取り、御自分のそばに立たせて、言われた。
『わたしの名のためにこの子どもを受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。
あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。』」(ルカ9:46−48)
「だれがいちばん偉いか」と問う者の関心は、神さまではなく「自分」にあることは確かです。私たちは、何をするにも、最後までつきまとうのが、この「自分」ということです。
私たちは、ここから、なかなか離れることができません。
会社の中においても、消費者のために汗を流すとか、会社に貢献する以前に、だれが出世するかが大きな問題となります。
自分の賜物は何で、それをどのように生かして行けるかではなく、自分の成績がクラスで何番か、が大きな問題となります。
そして今日の聖句は、悲しいかな教会でも「誰が一番偉いか」、「誰が教会のことをよく分かっているか」、「誰が聖書のことがよく分かっているか」と競争が起こりかねないということです。
さて、弟子たちの間の混乱を収拾するために、主は、幼子を連れてきて傍らに立たせて言われました。
「わたしの名のためにこの子どもを受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。
あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」
主が求めておられることは、横との比較において、何か秀でることではなく、むしろ、「最も小さい者を受け入れることだ」と。
つまり、この世の偉さの基準と神の国における偉さの基準は逆転しているということです。
あなたは今日、どちらの基準で生きて行きますか?
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘