松本雅弘牧師の日々のみことば

月曜から金曜の毎朝、高座教会の牧師からメッセージをお届けします

どこにいるのか?

「その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた。
『どこにいるのか。』彼は答えた。『あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。』神は言われた。
『お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。』アダムは答えた。
『あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。』主なる神は女に向かって言われた。
『何ということをしたのか。』女は答えた。『蛇がだましたので、食べてしまいました。』」(創世記3:8−13)

 ある意味で人間とは、神さまの御心に反して生きる自由を持つ被造物と言えます。
 しかし、創世記3章を読む時に、その罪を結果、人間は自分を偽り、恥や恐れ、そして罪責感で満ちた心を携えて、神さまの御前に立たなければならなくなったことを知らされるのです。
 そして神さまは、彼らに裁きを宣告しましたが、神の方からは決して、人間との交わりを拒絶することはなさいませんでした。
 むしろ「どこにいるのか?」と捜しつづけ、神さまからの和解の手を差しだす意味で「皮の衣」を作って着せたりもしました。
さらにエデンの園から追い出した彼らに対して、「土を耕させる」という新たな働きをもお与えになったのです。
 創世記を読む限り、人間の罪が、それ以前に享受していた神さまとの親しい交わりに大きなダメージを与えたことは確かですが、
たとえそうであったとしても、神さまが人間を完全に追放し、全くかかわりを持たなくなられたのか、と言えば、そんなことはありませんでした。
むしろ、「どこにいるのか?」と人間を追い続ける歴史が、聖書に記されている神さまの救いの歴史なのです。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘