松本雅弘牧師の日々のみことば

月曜から金曜の毎朝、高座教会の牧師からメッセージをお届けします

主は羊飼い

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い/魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。わたしを苦しめる者を前にしても/あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ/わたしの杯を溢れさせてくださる。命のある限り/恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り/生涯、そこにとどまるであろう。」(詩編23編)

 賢い羊飼いは、羊たちが食料や飲み水にありつくことができるように、季節や天候に応じ、時宜にかなった野原や水場に羊たちを導きます。
そのようにして羊飼いは、羊たちのニーズを、適切かつ十分に満たすように心を配っています。
 さて、今日は、詩編23編を取り上げました。全部で150編ある詩編の中で、一番親しまれ、なおかつ有名なものが、詩編23編だと思います。
讃美歌、絵画、物語の題材にもよく用いられている詩編でもありますし、牧師たちも好んで説教する詩編でもあります。

 でもよくよく考えていますと、私たちは、この詩編の設定(原、水のほとり、谷等々)とは、あまりにもかけ離れた現実の中で生活しているように思いました。
 ダビデの時代、神さまと神の民の関係は、まるで良い羊飼いと羊の関係に譬えて味わうことができたわけです。
勿論、その時代の人にとって羊飼いと羊の関係がどのようなものなのかを知ることによって、今でもその恵みを知ることは十分可能です。
 でも、もし今、詩編23編に歌われているような恵みの現実を書き表すとするならば、
あなただったら、どのような身近な題材をもって、イエスさまとあなた(教会)の関係を表現することが出来ると思いますか?
 
 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘