「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。」(詩編90:12)
前にクリスチャン作家の曽野綾子さんが書いた『自分の始末』という題名の本が紹介されていました。その中で曽野さんは「人生の畳み方」について書いているそうです。
「人生の始末」といい「人生の畳み方」といい、なかなか洒落た表現だと思いませんか?!
人は死を意識したとき、あるいは、どう努力しても老化に抗しきれないことに気づいたとき、人生の目標を外から内に向け始めるのだそうです。そうした時、初めて、自分にとって一番何が大切かに気づくものだそうです。
今までは他人からの称賛の言葉、地位や肩書、そして財産や持ち物等が大きな魅力だったかもしれない。でも仮に「明日で終わり」と宣告されたとするならば、今まで魅力的だったほとんどのものが、急に色あせてしまうことでしょう。
実は、詩編の記者もまさにそうした人生のはかなさを経験したので、命の源であり導き手である神さまに向かって祈りを捧げました。
「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。」
ところで、聖書は、こうした私たちに祈りに対する具体的な「人生の畳み方」について教えています。それは「礼拝に生きる」という「畳み方」です。
クリスチャンはいつ訪れてくるとも分からない「死」に備えるために、日曜日ごとに礼拝に集います。そして礼拝に出席するためには、会社から持ち帰った仕事、あるいは遊びや家事、勉強を一度中断しなければ不可能です。
そうした、日曜日ごとに礼拝に集う「小さな週ごとの中断」を重ねながら、いつの日か必ずやってくる「死(召天)」という神さまによる「決定的な中断」に備えるようにと、聖書は私たちに教えているのです。
詩編の祈りを、あなたの祈りにしてくださいね。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘