「愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』」(マタイ25:8)
イエスさまの話に、愚かなおとめと賢いおとめがでてきます。
どこが違うのでしょう? それは余分な油の用意があったかなかったかの違いでした。
ところで、ともし火は目立つものですが、油は周囲からは隠されています。でも目立たない油が切れると火は消えるのです。
日頃、私たちは人々の目に映るところで生活します。会社で働き、地域社会で活動し、教会で奉仕します。それはともし火のように周囲から見える部分です。
でも、その見える部分を支えているのが見えない油の存在です。しかも見えないだけでなく他の人が代わって用意できないものです。そのような意味での油にあたるものは何でしょう?
それは「関係」というものです。
人間は「私とあなた」という関係がなければ生きられないようになっています。「私とモノ」との関係だけではやっていけない。それが「人と人との関係」、夫婦の関係や親子の関係、家族の関係や職場や学校での人間関係です。
場合によっては「自分自身との関係」ということもあるでしょう。自分の心や体をどうメンテナンスしているか。自分が抱える心配事や悩みとどう向き合っているか、そうした意味での「自分自身との関係」。
そしてさらに、聖書は、目に見えない大切な油の1つとして、「神さまとの関係」についても教えています。
逆にこの油の備えがない時に、必ず行き詰まります。場合によっては、そうした関係までも犠牲にし、見える世界での成功を求め、芯を焼き切ってまで灯そうとする。それが私たちの抱える課題の1つです。
イエスさまは、夫婦の関係や親子の関係、そして神さまとの関係を、油にたとえ、他の人があなたに代わって準備することのできないものとしてお語りくださったのです。
あなたの油の備えは大丈夫ですか?
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘