「主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。」(ローマ13:14)
人間は本来、裸で生まれてきました。言い換えれば全く無防備な状態で誕生したのです。ですから神の愛が彼らを守り、彼らも愛の神を信頼することで平安をいただいていました。
ところがサタンに誘惑され罪を犯した結果、神を信頼して生きる生き方からズレてしまうのです。
その結果、人は神への信頼によって初めて与えられる恵みとしての心の平安を失いました。そして自分の力で平安を獲得する生き方を始めていくことになります。
つまり、「ごめんなさい。私が悪かったのです」と言う代わりに、「お前が食べろと言ったから食べたのだ。
いや、言わせてもらえば、神さま、あなたが私に押し付けた、あの女が取って食べろと言ったから食べたのだ。
そうした女を押し付けたのは、神さま、あなたでしょ」と自分の罪を棚に上げ、神に責任転嫁をするのです。
こうして神との関係が破れ、心に平安を失った人間は自身の失い、イチジクの葉で自らを飾る生き方、背伸びし、自分で自分を守る生き方を始めていきます。
アダムとエバが形成した家庭がそうであったように、どんなに幸せそうに見える家庭でも、もしそこに本当に神さまに対する信頼がなければ、その家庭には真の平安がないでしょう。
何かのきっかけで簡単に相手を裁き争いが生じるものです。
企業や組織も同じです。それ自体が安全であるわけではないのです。
完璧な職場環境であったはずのエデンの園においてさえも、神との関係が切れた途端、彼らの心は不安に満ち、互いを批判し合い、ごまかし合って生きていたからです。
でもこれで終わりませんでした。憐れみ豊かな神は、獣の皮で毛衣を作り、人間を覆ってくださったのです。そしてそれは最終的に十字架につながる恵み、そこに救いがあるのです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘