松本雅弘牧師の日々のみことば

月曜から金曜の毎朝、高座教会の牧師からメッセージをお届けします

教会の桜の木

「イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。」(ルカ19:3−4)

 先週の土曜日、高座教会のシンボルともいえる桜の木が伐採されました。70年余りの教会の歴史を共に歩んできた桜です。樹木医の診断によって、かなり限界に来ていることが判明し、安全面を考慮し、やむなく伐採することになりました。
でもその桜のいのちを絶やさぬように、挿し木をし、苗を育て、庭に植えようと考えています。また枝や幹を用いて記念になるものを残そうと計画しています。
実は、その桜の木、今年も本当に見事な花を咲かせました。フェイスブックで紹介したところ、キリスト教テレビ局の目にとまり、満開の桜の前で取材を受けることになりました。(https://www.youtube.com/watch?v=cmyRHh8ZRXU&t=)
 さて、桜の木のことを思いめぐらす中、一本のいちじく桑の木のことが心に浮かんできました。ザアカイとイエスさまとの出会いを橋渡しした木です。
主イエスを一目見たいと思ったザアカイは、ちょうど道の傍らにあった、いちじく桑の木に登りました。木の上のザアカイに声をかけたのがイエスさまでした。その出会いによって、ザアカイは新しい人生へと導かれていったのです。
 私は、不思議だぁ、と思いました。もしそこに、いちじく桑の木がなかったら、と思うからです。その木を、その日のために育て、その場所に置いてくださったのは神さまでしょう。人は「偶然」と呼びますが、聖書はそれを「摂理」と呼ぶのです。
 ザアカイが主イエスに出会うために、どうしてもエリコ街道沿いに、いちじくの桑の木が必要でした。同様にこれまで教会の桜の木も私たち多くの者にとって、ザアカイにとってのいちじく桑の木のような役目を果たしてくれていたのではないでしょうか。

いってらっしゃい。

牧師 松本雅弘