「イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、『婦人よ、御覧なさい。あなたの子です』と言われた。それから弟子に言われた。『見なさい。あなたの母です。』
そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、『渇く』と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。」
(ヨハネ19:26−28)
マリアはイエスさまの母親として召されたがために、他の母親には味わうことの出来ない苦労がありました。
ベツレヘムへの旅と家畜小屋での出産。幼子を抱え悪王ヘロデの難を避けてのエジプトでの難民生活。
過越祭の帰り道に迷子になった我が子を発見し「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」との言葉に対し、
「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」という意味不明の返答も、イエスさまの母として召されたがためのものでした。
そして十字架です。ダンテは『神曲』の中で、マリアにとっての最大の苦難は、お腹を痛めて産んだ我が子を救い主、主と信じることだったと語っています。
さて十字架からイエスさまはヨハネに抱えられるように立っているマリアを御覧になり「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と語られました。
そしてヨハネには「見なさい、あなたの母です」と言われたのです。「マリアをあなたに任せる。この人をあなたの母親として愛し、私に代わって親孝行するように」という意味でした。
心憎いほどの配慮です! このようにして私たちへの模範を残してくださいました。
今度の日曜日は「母の日」ですね。お母様はお元気ですか? 「汝がためにいのる母のいつまで世にあらん・・」と旧讃美歌にありますが、お元気なうちに感謝と愛を伝えたいですね。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘