「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。」 (ヘブライ4:15)
ある日のこと、イエスさまは弟子たちと舟に乗り込み、「湖の向こう岸に渡ろう」と言って出発しました。その途中、眠ってしまわれたのです。
日頃、人々に囲まれて生活していました。弟子たちを訓練し、神の国の福音を説き、群衆を相手に丁寧に教え、病気を癒し、悩みに応えて生きる日々の生活でした。
確かに、人々の必要に応え、彼らが恵みの中で新しくされ、変えられ、救われていくことは、大きな喜びだったでしょう。しかし一方でイエスさまの周囲には好意的な物の見方をする人たちばかりではありません。
陰や日向で非難する人々もいました。日々の激務に加え、そうした人々の存在はイエスさまをどれだけ苦しめ疲れさせたかと思います。
「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕するところもない」という言葉が出て来ますが、疲れを癒す場が本当に少なかったのでしょう。ですから舟の上でしばらく休まれたのです。
弟子たちの中には元漁師がいましたから、舟のことは安心して任せておられたのだと思います。
ここには神でありながら、人間として私たちと同じように弱さと限界をもって生きておられた人の子イエスの姿が実によく示されています。
そこに見る「イエスさまの弱さ」は信頼を裏切るどころか、かえって「眠り」を必要とする人間イエスの姿そのものに親近感を覚えずにおれません。
十字架の前夜、肝心な時、ドッと疲れが押しよせ睡魔に負けてしまった弟子たちに対して「心は燃えても、肉体は弱い」とお語りになった背景には、こうしたご自分の実体験があったのでしょう。
イエスさまは、あなたの弱さを分かってくださるお方です。このことを心に留め、今日も健やかに。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘