「わたしはヘブライ人だ。海と陸とを創造された天の神、主を畏れる者だ」(ヨナ1:9)
ヨナを乗せた船がタルシシュに向けて出帆した直後、大嵐が起こりました。恐れを抱いた乗員たちは、自分たちが信じていた神々に向かって真剣な祈りを捧げ、転覆しないようにと積み荷を海に投げ捨て始めました。
ところが真の神さまを知っているヨナだけは船底にいてふて寝していたのです。そのことを突き止めた船長はヨナに向かって怒りました。
「寝ているとは何事か。さあ、起きてあなたの神を呼べ。神が気づいて助けてくれるかもしれない。」
これに対してヨナは、「わたしはヘブライ人だ。海と陸とを創造された天の神、主を畏れる者だ」と答えたのです。しかしヨナの言葉を聞いた人々は驚き呆れて言いました。
「なんという事をしたのだ」と。彼らの目に、この時のヨナの姿は「主を畏れる者」とは映っていませんでした。
仮にこの時ヨナが「わたしはヘブライ人だ。海と陸とを創造された天の神、主を畏れる者だ」という、彼の告白どおりの人物であったとすれば、
神さまが行くようにと示したニネべと正反対に位置するタルシシュに向かう船に乗っていること自体がおかしいことではないでしょうか?!ヨナの実際の行動と彼の告白とは矛盾していたのです。
先日、聖書を読んでいましたら次のような御言葉に出会いました。
「わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちの求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方」(エフェソ3:20)
あらためて私は「神さまってすごい!」と思いました。と同時に、私自身の日々の生活が、このような素晴らしい偉大な神さまを信じ告白する生き方になっているだろうかを問われたことです。
「告白すること」と「告白したように生きること」の間には大きなちがいがあります。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘