「土は茨とあざみを生えいでさせる。野の草を食べようとするお前に」(創世記3:18)
聖書は、人間がいかに真面目で真剣に営んだとしても、神から離れた営みには必ず予期せぬ副産物が生じることを今朝の聖句は象徴的に表現しています。
人は食料として「野の草」を得るため、汗水流して大地を耕します。ところが大地は「野の草」の他に「茨とあざみ」という副産物を生じさせるのです。これこそ創世記3章以来、今に至るまで続く人類の歴史です。
より強大なエネルギーを、と核開発が進んだ結果、核戦争や放射能汚染の不安が常につきまとうことになりました。「茨とあざみ」という副産物です。
現代の私たちは快適さ便利さ豊かさに慣れてきました。でも今まさに予期せぬ副産物に直面し、被造物であり、なおかつ神のかたちに造られた存在としての基本的なあり方を、神さまの御前に問われているように思います。
パオロ・ジョルダーノは著書、『コロナの時代の僕ら』で次のように語っています。
「僕は忘れたくない。今回のパンデミックのそもそもの原因が秘密の軍事実験などではなく、自然と環境に対する人間の危うい接し方、森林破壊、僕らの軽率な消費行動にこそあることを。」
「軽率な消費行動」を生み出す「心の癖」が変わらなければ、もはや自然災害は減るどころか増え続けるのではないだろうか、と思わされます。
あわれみ深い主よ
あなたは私たちの避けどころ、私たちの砦です。
苦難のとき、必ずそこにいて助けてくださるお方です。
今、どうか私たちの嘆き、叫びをお聞きください。
この惨めでどうしようもない現実に、目をとめてください。
この怒り、この悲しみ、この憎しみ、この不安を、すべてあなたにささげます。
ああ主よ、この苦しみから早く助け出してください。
どうか主よ、今日の一日、世界の全ての人々と被造物にとっての「避けどころ」となってください!
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘