松本雅弘牧師の日々のみことば

月曜から金曜の毎朝、高座教会の牧師からメッセージをお届けします

コロナ禍にあって教会を考える

「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」(ヨハネ13:34〜35)

 時々、こんな質問を受けます。
「私は神さまを信じます。救い主としてイエスさまを信じます。けれども、教会には違和感を覚えるので、教会の一員にはなりません。
私は、個人的に神さまを信じて救われれば、礼拝に行かなくてもいいと思うのです」。

 あなたがこの質問をたずねられたら、どうお答えになりますか?
言われることはよく分かります。しかも今、私たちもコロナ禍にあり礼拝に集えず、必ずしも決まった時間に礼拝を捧げていないかもしれません。
この方の言われるように、好きな時に、好きなように信仰生活ができれば、それにこしたことはないかもしれません。
でも、残念ながら、それは聖書の教える「救い」とは異なるのです。
 イエスさまは言われます。「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」と。
神さまを信じ、神さまとだけつながっているという信仰は、イエスさまの説く信仰とはちがいます。
聖書のいう「救い」とは、私たちが個人として、たった一人で神さまとの交わりに入るというのではなく、神さまのいのちにあずかっている兄弟姉妹たちとの交わりにも入ること、
それが「救われる」ということです。
 私たちがイエス・キリストを救い主・主と信じて受洗し、教会の一員になる時、初めて「教会に与えられている救いの約束」があなたのものになるのです。
言い換えれば、教会は、私たちにとってなくてはならない救いの機関なのです。

いってらっしゃい。

牧師 松本雅弘