「愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。」(1ペトロ2:11)
ペトロは「旅人であり、仮住まいの身なのですから」と語り、私たちが天国を目指す旅人であり、この世にあっては仮住まいの身であることを伝えています。
旅も終わりに近づくと旅の疲れのせいか、多少、体力や記憶力の衰えもあることでしょう。「持ち物」にも多少ガタがでて来るかも知れません。
知り合いの牧師が「それは、歳をとるごとに、良いものを、天国へ少しずつ引越しをはじめているようなものだ」と話していました。
「天国に一度に引っ越してしまうと、周囲の人々は悲しみますから、少しずつ、少しずつ、引越しをしている。それが老いるということだ」と言っていました。その言葉を聞きながら〈本当にそうだなあ〉と感じたことです。
人生の先輩からしたら、「まだ、若いのに」と叱られてしまいますが、最近私は物忘れが多くなりました。運動の後は時間差で疲れが押し寄せてきます。両親や先輩たちが口にしていたことが、私の身にも起こって来ています。
ところで、こうした中、私たちクリスチャンには、もう一つの大切なアイデンティティがあります。それはクリスチャンであれば誰もがみな「神の子」というアイデンティティです。そして神の子には教会という確かな「家庭(居場所)」があります。
このような意味で、私たちは幾つになっても神の家族の一員であり、生涯現役です。ちょうど家庭の食卓に指定席があるように、神の子であるあなたにも、礼拝に行けば、そこに指定席が用意されています。
今、コロナ禍で、神の家族としての教会を肌で感じることが難しい状況ですが、でも教会こそが、神の子たちが集う家庭であることを心に覚えながら、家族のために祈りあっていきたいと思います。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘