「そこで、イエスが、『名は何というのか』とお尋ねになると、『名はレギオン。大勢だから』と言った。」(マルコ5:9)
ゲラサの地に一人の男がいました。墓場が住みかでした。迷惑がかかるということで、村人たちが彼を鎖や足枷で墓につないでいたからです。その墓場で彼は自分の体を石で傷つけていました。一種の自傷行為です。
イエスさまは、こうした絶望的な状況に置かれていた彼と出会われたのです。そして彼に「名は何というのか」と問いかけました。彼は「レギオン」と答えました。
「レギオン」とは「大勢」という意味ですから「多くの名がある」と答えたことになります。聖書は、「名」は人の本質を表すと教えます。ですから「名が多い」とは、どれが本当の名(自分)かわからなくなっている状態です。
ところで、あなたは幾つの名をお持ちですか?「夫」や「妻」、「父親」や「母親」、「○○会社の社員」、「○○高校の生徒」という名もあります。
それぞれの名には役割が伴い、ある名はしばらくすると消えてしまうこともあります。そうした名に囲まれ、その名のゆえに、時には押し潰されそうになりながらもかろうじて踏みとどまろうとする。
そしてふと我に返ると、いったい自分が誰なのかが分からなくなっていく。そんな経験はないでしょうか?彼はまさにそうした混乱の中に生きていたのです。
イエスさまはその彼を「レギオン(相対的な「名」)」から解放し、本来の自分を取り戻させるために「あなたの名(本質的な「名」)は何ですか?」、言い換えれば、「あなたはだれなのですか?」と問われたのです。
イエスさまは同じ問いかけを、あなたにもしておられます。今日どこかで時間をとり「あなたの名は何ですか?」との問いかけを静かに考えてみてはいかがでしょうか。
最後まであなたから取り去られることのない、あなたの本当の名は何でしょうか?
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘