「この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、」(創世記2:1)
コロナ禍にあって、何度かパオロ・ジョルダーノの言葉を思いめぐらします。
「僕は忘れたくない。今回のパンデミックのそもそもの原因が秘密の軍事実験などではなく、自然と環境に対する人間の危うい接し方、森林破壊、僕らの軽率な消費行動にこそあることを。
・・・ウイルスは、細菌に菌類、原生動物と並び、環境破壊が生んだ多くの難民の一部だ。自己中心的な世界観を少しでも脇に置くことができれば、微生物が人間を探すのではなく、僕らのほうが彼らを巣から引っ張り出しているのがわかるはずだ。」
今、礼拝でマタイ23章以下の主イエスの「遺言」と呼ばれる教えに耳を傾けています。そこではこの世の終わりが語られていると共に、主イエスの再臨によって完成される神の国の希望の福音が語られています。
その希望を心に受けとめつつ、宗教改革者ルターが語ったと言われる、「明日、世の終わりが来ようとも、私は今日リンゴの木を植える」という終末を生きる神の民としての歩みを進めています。
現在、礼拝堂での礼拝、諸活動は休止状態。社会も「安全を担保し、一方で経済を回していかなければ」と本当に難しい舵取りを迫られています。
しかし他方、このコロナ禍によって、あらゆる営みを休止し、全ての被造物世界に安息を取り戻すようにとの神の恵みも警告のような出来事のようにも思えるのです。
感染が拡大し始めた頃、武漢周辺の工業地帯はロックダウンし、工場が閉鎖されました。その結果、いつにない青空が中国を覆ったことが報道されていました。
私たちが常に動いていたのでは被造世界は安息を得ません。安息が得られなければ癒しや回復はない。
今、私たちに与えられた「リセットの恵み」「立ち止まり振り返る時」として、この出来事を捉える必要があるのではないかと思わされます。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘