「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。」(詩編119:105)
定年を迎えた、ある夫婦の会話です。
夫:・・・男は「人生とは勝つことなり」という成果主義、結果主義の中で、しのぎを削りながら生きている。学校でも会社でも、ひたすら勝ちを目指して頑張ってきた。
何らかの成果を出さないと、職場や社会は認めてくれないし、認められなければ落ちこぼれて、自分の生きる場所がなくなってしまう。だから必死で他人を蹴落としても、業績主義、成果主義を貫いてきた。
そのため、長い間の習性で、成果の見えないものには、なかなか価値を認められない。逆に言うと、結果を目に見えるように示してもらうと、非常に納得しやすかったり、そのことに価値を見出すことができる。
妻:ところが、家庭の仕事は、具体的な成果の見える仕事は余りないのね(笑い)。せいぜい食事がおいしくできたとか、掃除してきれいになったとか・・・。
夫:本当は、そういうことの一つひとつが生活するうえでの立派な成果なんだよね。
ところが、男の今までの価値観からいうと、家のことなんて無意味で価値のないもののように思えてしまうんだなぁ、お金や業績にならないから。そこの意識改革がなかなかできない。
しかし、実際にもうお金も稼げない、地位で人を威圧することもできないのだから、これからは人格的・精神的・日常的なものに価値をおくべきなのに。
妻:その点、女の傾向として、結果よりもプロセスに関心があるし、それを楽しめるのね。・・・
聖書は、人生には四季があると教えます。春に種を蒔き夏に耕し、秋に収穫し冬を迎える。人生の四季折々の生き方が求められます。そのために神の語りかけに耳を傾け、次の一歩を照らす御言葉の光を求めて生きていくのです。
この夫婦も人生の新しいステージを迎え御言葉の光を必要としています。あなたはいかがですか?
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘