「あなたはエジプトで奴隷であったが、あなたの神、主が救い出してくださったことを思い起こしなさい。わたしはそれゆえ、あなたにこのことを行うように命じるのである。」(申命記24:18)
申命記24章に素晴らしい言葉があります。
「畑で穀物を刈り入れるとき、一束畑に忘れても、取りに戻ってはならない。それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。
こうしてあなたの手の業すべてについて、あなたの神、主はあなたを祝福される。オリーブの実を打ち落とすときは、後で枝をくまなく捜してはならない。
それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。ぶどうの取り入れをするときは、後で摘み尽くしてはならない。それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。」(申命記24:19−21)
収穫の時、収穫し残したものを全部集めずに、落ちたまま、残ったままでよい、いや敢えて残すように。
何故なら収穫する当てもない人々のために、「さあ、どうぞいらっしゃい、あなたがたの取り分はここにありますよ」と言ってあげるためなのですと聖書は教えています。
出エジプトの際、救いの出来事の背景に何千何万もの小羊のいのちが犠牲となっていたことを聖書は伝えています。同様に、私たちの救いのためにも「世の罪を取り除く神の小羊」の十字架がありました。
今朝の御言葉、「あなたの神、主が救い出してくださったことを思い起こしなさい」とは私たちに代わって命をささげてくださった、主の十字架の出来事を思い起こすことなのです。
十字架の道を行く主イエスは私たちの負い目を追求さるのではなく、その罪が赦されていることを十字架において明らかにしようとされました。
その御心に気づく時、私たちは赦された者、負債を免除された者、つまり神に愛されている者として、私たちの心の内側に必ず変化が起こって来る。その恵みにひたる時に、感謝と喜びが起こってくるのです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘