「主は言われた。『わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか。』」(創世記18:17)
今日の聖句は私の大好きな聖句です。主なる神ご自身が「わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか」と自問されたことを伝えています。
なぜ自問されたかと言えば、以前、アブラハムと交わした約束のためでした。アブラハムを大いなる国民にし、世界中の人々を彼によって祝福するために彼を選んだからです。
ところで「選ぶ」とは「知る」と訳せる言葉で、「親しい間柄となるべく選ぶ」という意味です。
創世記に「アダムはエバを知った」とありますが、まさに結婚関係を表す言葉で、「好きになる」こと以上に決意や約束を伴う「愛する」という意味のある言葉です。
ですから今日の聖句には、ご自身の伴侶として契約を結んだアブラハムを思い、ご自分の計画を明かさずに事を起こしてよいだろうか、その葛藤の思いが現されています。
神さまは神さまですから、決めたことを誰にも相談せずに好きなように、好きな時に実行に移しても構わないはずでしょう。しかも全知全能のお方ですから、実行したことは最高の結果をもたらすはずです。
でも、神さまというお方は敢えて、ご自分が当事者となって私たちと結ばれた恵みの契約に自らを拘束なさるお方です。
本来、被造物に過ぎないアブラハム、そして私たちに対して、「わたしのしようとすることを隠しておいてよいだろうか」と自らの心に問いかけるくらい、
決して被造物扱い、子ども扱いなさったりするのではなく、「神のかたち」に似せて造られた責任主体として、真剣に向き合ってくださるのが、私たちの神さまなのです。
私たちは、御言葉と祈りを通して交わる中で、成熟した大人のクリスチャンへと導いてくださることを知らされます。神さまって本当に素晴らしいお方だと思いませんか!
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘