「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。『あなたに欠けているものが一つある。』」(マルコ10:21)
去年の今頃、2か月後に訪れる新しい年を心待ちにしていたことを思い出します。
中会を例にとれば、宣教70周年記念行事、カンボジアで予定されていたアジア・ユース・ギャザリング。巷ではオリンピックもあり、海外から大勢の旅行者で賑わうだろうと考えていました。
ところが、コロナ禍です。その結果、今まで当たり前であったことが決してあたりまえでない。むしろ有り難いことであるのに気づかされたのです。
ある日、1人の若者がイエスさまのところにやってきました。若くて裕福な議員です。周囲の人々はこの若者を称賛していました。お金があり、若さもあり、知恵に長け、地位もありました。将来も保障されていました。
周りの人々は彼を羨望の目をもって見ていたことだと思います。でも、そこに全くちがった目で、その若者を見ている人がいました。イエスさまです!
本当に大切なことは、他人の目、世間の目にあなたの姿がどう映っているかではなく、永遠の神であるイエスさまの目にどう映っているか、なのです。
ところで、旧約聖書に登場するヨブは、突然の禍に遭って、身ぐるみはがされるような経験をしました。そして「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう」と語っています。
もしかしたら今あなたは職場での異動、突然の病や不慮の出来事などに遭遇し、ヨブのように「自分は裸同然だ」と落胆しているかもしれません。
でも今あなたは、誰の目に映っている自分を見ようとしているでしょうか?少し視点を変えてみてはいかがでしょう!
本当に価値あるものは持ち物でも地位や肩書でもありません。慈しみ深いイエスさまの目に映っている、愛するあなたご自身なのです。この若者に欠けていたものは、このことだったのです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘