「『もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう』と言った。すると、イエスは言われた。『退け、サタン。「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」と書いてある。』」
(マタイ4:9−10)
洗礼を受けた後、イエスさまは荒野に導かれ、サタンの誘惑を受けました。そこでイエスさまは、「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」とお語りになりました。
この言葉には深い意味があります。それは、《人間は、その人の拝むものによって支配される》という真理です。
方位や方角、暦を気に掛ける人は、方位や方角、暦によって心が支配されます。
お金をあがめる人はお金によって支配されます。
人に好かれたい、気に入られたいと、人気をあがめるならば、周囲の人々の気持ちの変化によって、その人も浮き沈みするものです。
会社が「カミ」ならば、最終的には会社に支配されていくでしょう。バアルを拝む人は、最終的にはバアルを創りだした自らの欲に支配されていくのです。
これに対しイエスさまは「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」と語り、「あがめること」と「仕えること」とが深く関係していることを教えてくださいました。
私たちが礼拝すべき対象はイエス・キリストの神さまです。
そしてそのお方を礼拝して生きる時に、私たちは、その神さまに仕える者として整えられ、そのお方の恵みを反映させる者として確かな人生へと導かれていきます。
「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」。このイエスさまの教えを大切にしていきましょう。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘