「わたしたちに必要な糧を今日与えてください。」(マタイ6:11)
イエスさまは主の祈りの中で「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」と教えてくださいました。
でも、今はどこのお宅でも冷蔵庫を開けますと、何がしかの食べ物があります。
ですから、正直言って、「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」という祈りは、時代と共に切実さが薄れてきているとも言えるかもしれません。
では、私たちは、どんな気持ちで、この祈りを捧げるべきなのか、という課題が残るように思うのです。実は、この問いを解く鍵が次の御言葉です。
「二つのことをあなたに願います。わたしが死ぬまで、それを拒まないでください。むなしいもの、偽りの言葉をわたしから遠ざけてください。貧しくもせず、金持ちにもせずわたしのために定められたパンでわたしを養ってください。
飽き足りれば、裏切り主など何者か、と言うおそれがあります。貧しければ、盗みを働きわたしの神の御名を汚しかねません。」(箴言30:7−9)
ここで箴言の著者は、「ただ、なくてはならぬ食べ物で私を養ってください」と告白しています。
つまり、この告白の背景に、「私たちの生活にとって、なくてはならない必要最低限のものまで、自分の力ではどうにもならず、ただ神さまによって与えられなければならない」という神さまへの告白があるということです。
そしてもう一つ、「わたしに」ではなく「わたしたちに」と祈るようにと教えられています。報道を通し、コロナ禍で炊き出しに並ぶ方々、ひとり親家庭の窮乏を知らされます。
その人たちと共に「わたしたちに」と祈る時、そのように祈る私に対して、神さまは何か具体的な導きをくださるかもしれません。
そのようなことを考えながら、今日も主イエスさまが教えてくださった祈りを唱えつつ、歩んでいきたいと願います。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘