「わたしを母の胎から取り出し、その乳房にゆだねてくださったのはあなたです。母がわたしをみごもったときから、わたしはあなたにすがってきました。母の胎にあるときから、あなたはわたしの神。」(詩編22:10−11)
私たちの悩みの一つは、自分の意思で選んだのではない条件で生きていかなければならない、ということにあるかと思います。 私の父親は小さな洋品店を経営していました。子どもの頃、何で自分の家は洋品店なのだろう、とよく考えました。友だちの家が羨ましくてしょうがない経験をしました。私の着る服は、子どもが着るような色柄の服ではないのです。 父の業界では「ローズ物」と呼んでいましたが、お店に陳列し、売れ残って、日に焼けて色が変わってしまったような物、つまり売り物にならない物を「ローズ物」というのですが、私が着る服は、ほぼ全てが「ローズ物」なのです。母親は裁縫が上手でしたので、大人用のズボンでも服でも、子どもサイズに直すことが出来ます。 父は、「雅弘、こいつは、いい品物なんだ」と言って私にあてがう服は、どれもおじさん臭い色、おじさん臭い柄、おじさん臭い生地なのです。それが嫌でたまりませんでした。 好き好んで洋品屋を営む両親の許に生まれてきたのではありません。でも、ある意味で私たちは初めからある種の条件のもとに生活を始めなければならないのです。そして、しばしばそうしたことが、悩みの種になることが多くあるように思います。 ところで、そうした私が高校生になって教会に通い始め、今日の聖句に出会いました。その結果、少しずつですが、この両親のもとに生まれた背後に、実は神さまのご計画があったことを知らされていくのです。そして次第に自分を悩ませた「条件」と向き合う力をいただき始めたように思います。 さて、今日から3月です。新しい月も主の祝福がありますようにと祈ります。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘