「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」(ルカ2:49)
想像ですが、婚約中にマリアが妊娠したことはナザレの人々の多くが知っていたと思われます。小さな村ではスキャンダルのような出来事でした。
そうした背景を持って誕生し、それを背負って成長されたとすれば、イエスさまは、いつ、どのようにして、ヨセフが実の父ではないことを知ったのだろうか、と思います。
マリアとヨセフが出生の秘密を説明したかもしれませんが、誰かが不用意に話してしまった可能性だって否定できません。
仮にそうだとしたら、少年イエスさまの心には少なからず動揺があったように思います。
今日の聖句は、そうした12歳のイエスさまの口から出た言葉です。そこには「実の父親は誰なのか?」という深刻な問いがあったと思われます。
ところで、誰もが親から良いものも悪いものも受けて生きています。
イエスさまと同様に生みの親と育ての親が違う人であったり、実の親であってもその関係の中で愛されず、認められなかった経験があったり、
場合によっては虐待されたりして、未だに痛みを引きずって生きているのが現実の私たちだと思います。実は、そうした私たちに、今日のイエスさまの言葉は、解放の道筋を示しているように思うのです。
結論から言えば「私は誰なのか?」という問いを確認する大きなポイントは、親から自立することです。余談ですがこの後イエスさまはナザレで両親にお仕えになりました。
そうできないと「あんな親に育てられたから、こうなってしまった」という思いから逃れられず、幾つになっても親との関係で拒絶や承認を繰り返し経験し続けるからです。
神殿で、肉親を超える存在である神の御前に立った時に、イエスさまは本当の自分を発見されました。そのことこそが、本当のあなたを発見し、本当のあなたへと解放される出発点となります。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
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